かつ吉各店の店内に飾られている書や骨董、歴史、かつての仲間をご紹介していきます。
天狗煙草の看板
かつ吉・菩提樹各店に飾られているこの看板。
こちらは創業者吉田吉之助の実父(現店主の祖父)である岩谷松平(いわやまつへい)が経営していた「岩谷商会」の商品、『天狗煙草』の看板です。
こちらは、かつ吉水道橋店の店内に飾られている『天狗煙草』の看板です。
「ペルリ天狗」「日英同盟天狗」などなど、煙草の銘柄の商品名がユニークですね。
看板の右には「勿驚税金三百万円」(驚くなかれ、税金三百万円。当時のお金で、「それだけの金額を納税するほど売れている煙草です。」というアピールですね。少々誇大広告気味だったようですが 笑)。
左には「慈善職工二十万人」(「20万人の職工を雇い入れ、雇用を生み出しています。」という意味)という文句が入っています。
こちらもやはり実際よりは少々オーバーな数字だったようなのですが(笑)、日本のマス広告黎明期でもあった明治中期の世の中で、”人を楽しませるユーモアを含んだ広告表現”として、当時の人々に受け入れられていたようです。
看板の他にも、時計や絵柄の付いた鏡などがあります。
どれも明治の時代を感じさせてくれる、おもしろい味があると思っています。
こちらは渋谷店の看板。
こちらは菩提樹に飾ってある看板です。
こちらも菩提樹。左の「大安売」も、岩谷松平が好んで使った広告の文句でした。
「安売りの隊長」などとも自称していたそうです。
岩谷松平は、たばこの専売制成立まで、ライバル企業との熾烈な広告合戦を繰り広げたことで有名でした。奇抜な広告手法を数多く編み出し駆使したことから「広告の親玉」などと称され、電通の発起人となった人物です。
こちらは天狗煙草のポスターです。
岩谷松平は薩摩の出身で、鹿児島の産業であるタバコを東京に持ってきて商売をしていたようです。
こちらは渋谷区のたばこと塩の博物館で開催された『明治のたばこ王 岩谷松平』展の告知ポスターです。
激動の明治時代に岩谷が興した商売の軌跡や、政治経済との係りなどが紹介されました。
煙草業に成功し、次に目をつけたのが「薩摩の豚」でした。彼は渋谷に養豚場を作り普及に励みましたが、これは失敗に終わったようです。
時は流れ、ロースカツレットの文化が日本に入ってきました。亡き父の志を継いだ吉之助は「豚肉を一番おいしく食べられるのはこれだ!」ととんかつ屋を始めたのです。
これが「かつ吉」のとんかつの発祥になるという訳です。
もしご興味がありましたら、こちらもぜひ一度お読みになってみてください。
米田健三氏が長野県人会殿発行のある機関誌に寄稿された記事です。
吉田吉之助とその父、岩谷松平について、その人生や人となりを、生き生きとした描写で書いてくださっています。