かつ吉各店の店内に飾られている書や骨董、歴史、かつての仲間をご紹介していきます。
かつ玄 店主 瀧澤様
長野県松本市内のとんかつ専門店「かつ玄」。懐かしい田舎家に四季折々の草花が彩りを加え、自然の温もりを感じさせる店内。揚げ物には地元の食材にこだわった松本の旬が添えられ、信州の自然と季節を五感で楽しめる銘店です。
かつ玄店主、瀧澤さんは、かつ吉での修業時代、「配膳は女性の仕事」という社会通念があった当時としては大変珍しく、配膳の仕事を任されていました。
「配膳も経験したことで、店全体を見ることができるようになれた。かつ吉は自分のすべてを学ばせていただいた場所」と語る瀧澤さんに、当時を懐かしみながら、お話をうかがいました。(インタビュー・文 K’s WEB Consulting )
(日本語) はじめは「配膳をやれ」に反撥
― かつ吉で働いていらした当時のことを教えてください。
「なぜ自分だけ・・・」
瀧澤さん:かつ吉時代、僕は配膳の仕事をさせてもらっていたんです。今から40年以上前の話で、当時は「飲食店の配膳は女性の仕事で、男性がやる仕事ではない」というような、社会通念のようなものがあったんです。今から考えたらおかしな話なんですが。
そんな時代だった当時、かつ吉の創業者で当時の店主だった吉田吉之助さんから、「お前は配膳をやれ」と言われたわけですね。その時は、私も若かったせいもありまして(笑)、かなり反撥を覚えました。「なぜ自分だけが、配膳なんかを・・・」という気持ちでしたね。
ただそうはいっても、私も15才で松本から身一つで出てきたわけですし、与えられた仕事をやるしかありません。とにかく日々の仕事を夢中でこなしました。結局かつ吉では6年半、お世話になりました。
かつ吉への入店当初から、やはり私にも「将来独立したい」という気持ちはありました。もちろんお金はありませんでしたし、将来的にも開店資金を工面できるアテは何もなかったですが、それでもいつか自分の店を持つという目標に向かって「何かを得よう」という気持ちで働いていました。だから仕事が辛いと思ったことはありませんでしたね。
(日本語) 職人になるな ― 店造り全体を学ぶ
必要なことを、凝縮して教えていただいた
瀧澤さん:結局、吉之助さんに「配膳をやれ」と言っていただいたのは、「職人になるな」ということだったんだと思います。
日々の仕事の中で厳しいお言葉をいただくことも多かったですが、きっと吉之助さんは「なにくそ!」と発奮する私の性格を分かった上で、将来私が独立して店を持った時に、「職人ではなく経営者として、店全体を見ることができる眼を持たせてやりたい」というお気持ちで接してくださっていたんだろうと思います。
配膳の仕事を通して、接客はもちろん、店造り、掃除の大切さ、自分の下に入って来た従業員たちのマネジメントなど、店全体を運営していくために必要なことを学ばせてもらえました。
今振り返ると、かつ吉でお世話になった6年半の間に、「その後の私にとって必要なことを、凝縮して教えていただいた」という気持ちです。それも仕事として、お給料をいただきながら。
かつ吉というとんかつ店で働くことを通して、商売人として必要なこと、特に精神的なことを学ばせていただけたのには、今でも本当に感謝しています。
私の中に、かつ吉で学ばせてもらったブレない尺度というか、「ものさし」のようなものがあるんです。店の運営などで何か判断に迷った時には、今でもこのかつ吉で得た「ものさし」を基準に、ものを考えます。
(日本語) 「かつ吉でやってきたんなら大丈夫だろう」と支援者が集まる
― その後、ご自身のお店を持たれるまでの経緯を教えてください。
松本民芸家具創始者 池田三四郎氏ら、松本の名士たちから支援を受ける
瀧澤さん:かつ吉を出てから故郷の松本市に帰り、自分の店を開店するべく、準備を始めました。店はもちろんとんかつ専門店、それも、イメージしたのはやはりかつ吉のような、四季や自然の温もりが感じられる店造りでした。
ただ、そんなとんかつ店を開こうにも、私には資金がありませんでした。それでも、お金がないなりにも何とか店を持つ手立てはないか、とあちこち奔走しました。
そんな中で、あの松本民芸家具の創始者、池田三四郎さんなど、地元松本の今で言えば名士と呼ばれるような方々とご縁をいただくことができ、相談に乗ってくださったんです。
その結果、池田三四郎さんを含む4人の有力者の方々が、当時何も持っていない26歳の私に、資金面でご支援くださることになりました。
その決め手になったのが、当時頂戴したお言葉をそのままお借りすると、「あのかつ吉でやってきたんなら大丈夫だろう」、ということでした。ご支援くださったその方々は、皆さんそれぞれに、もともと東京のかつ吉や吉田吉之助さんをご存じだったんです。まさかこんなところでまで、かつ吉のお世話になるとは、想像もしませんでしたね(笑)。
そうして昭和49年の9月に、とんかつ料理店「かつ玄」を開店することができました。店造りから日々の営業まで、はじめはかつ吉のマネをすることだけでした。とにかく「自分がかつ吉での6年半で学んだことを、いかに表現するか」、ということだけを考えていました。
開店してからは経営的に苦しい日々が続きましたが、悩んだときにはかつ吉にアドバイスをいただいたりしながら、工夫と努力を続けました。
年を経るごとに少しづつ経営は上向いていきました。そうして10年後には開店時にお借りした資金もすべて返済。その後、昭和61年に仕出部作業所開設、平成5年に2号店「麓庵かつ玄」を開店することができました。
楽しみながら、自分のやりたいことを表現すればいい
瀧澤さん:「麓庵かつ玄」は、江戸末期にこの地に建造された築160年以上の本棟造り(ほんむねづくり)の古民家を、できる限りそのままの姿で活かしながら、店舗に改装して造りました。
(以下、写真はすべて「かつ玄」のWebサイト「麓庵の四季」より)
店造りの過程では色々と困難なこともありましたが、「信州の自然と田舎家の良さを、心行くまで楽しんでもらいたい」という私の想いを、何とか形にすることが出来たと思っています。
結局、楽しみながら、自分のやりたいことを表現すればいいんだと思うんです。もちろん経営的に成り立たっていないと店を続けて行くことができませんが、あまり収益性や経営効率のことばかりを念頭に置き過ぎて、お金を目当てに仕事をすると、店も人も良くならないんです。
「お金は後からついてくる」ではありませんが、都会でも田舎でも、本当にいいものは受け入れていただけますし、残っていくものなんだと思います。
(日本語) すべてを学んだ場所
― 瀧澤さんがかつ吉にいらっしゃる時、どんなことをお感じになりますか?
ご飯、味噌汁、漬け物をとにかくしっかりやる
瀧澤さん:やはりかつ吉は自分の原点で、全てを学んだ場所ですからね。自分の店をちゃんとやれていないと、かつ吉には来れません(笑)。
特に店をやっていく上での、仕事の基本になる部分、地味な部分の大切さを思い出させてもらえます。私も従業員たちにいつも口を酸っぱくして言っているのは、「漬け物とご飯、味噌汁をちゃんとやってくれ」ということです。
中でも「料理に季節を入れろ」というのは、かつ吉の徹底した教えでしたから、「味噌汁や漬物を、素朴な旬の食材を使いながら、いかに季節をとらえて出していくか」ということは、常に意識して、大切にしています。
奇をてらわずに、地味でも基本的な部分をちゃんとやり続けることですね。
とんかつがうまいのは当たり前のことです。
その上でこういう、少しでも気を抜いてしまうとおろそかにしてしまいがちな、地味な基本の部分をしっかりやれる店でありたいと思っています。
私たち「かつ玄」がそんな店であり続けることができれば、例えこの先、どんなことがあっても何とかなる、何とかできると思っているんです。
「小博打はいけない。一生を賭けた博打をしろ」
瀧澤さん:その他にも、吉田吉之助さんには店主として、経営者として大切なことを、たくさん教えていただきました。
まず「余計なことはするな」。例えば店が流行ってきて有名になると、「店主がとんかつを売らなくなって、自分の名前や顔を売り出すようになってしまう」と。どんなに周りにチヤホヤされるようになっても、料理屋の店主としての本分を見失うな、ということです。
特に地方都市だとなおさらそうだと思うんですが、これは本当に吉之助さんに教わっていた通りです。店がうまくいくにつれて「事業に出資しないか」とか「選挙に出ないか」とか、いろいろと声がかかるようになるものです。落とし穴がいっぱいあるんです。
こうした誘いに乗ってしまって本分を見失い、ダメになる事業者を、私も実際に少なからず見てきました。
それと、これは当時、特に飲食店ではすごく珍しいことだったと思いますが、私が勤めていた当時から、かつ吉はギャンブル禁止だったんです。「小博打はいけない。一生を賭けた博打をしろ」と。
「株をやるな」とも何度も言い聞かせていただいていましたので、お陰様で店主の私も、そういうトラブルとは今も無縁でいられます。
こういう吉田吉之助さんからの教えは、私と私の店の従業員30人が、今も安泰にメシを喰えている原点だと思っています。必要以上に儲かることは必要なくて、従業員も店も安泰でいられることが大切だと思います。だからかつ吉さん同様、うちの従業員たちも長く勤めてくれてるんだと思っています。
ですから、今かつ吉で働いてらっしゃる従業員の方たちもウチの従業員たちにも、お金のために働いてほしくないな、と強く思います。それ以上の何かを得てやろうという気持ちでいてくれれば、きっと何か大きなものを掴めると思うんです。
(日本語) かつ吉の色・かつ吉の哲学
「かつ吉の色」
瀧澤さん:「人の捨てるものを拾いなさい。」というのも、私が大切にしている吉田吉之助さんの教えです。
あらかじめ値段が付いたものを買うことは簡単ですが、人が見過ごして捨てているものの中から、その本来の価値を見抜く眼がなければ「拾う」ということはできません。そして、時間をかけてそれを磨く努力をしなければ、拾ったものを本当に活かすことはできないわけです。
最初から光ってるものを買い求めるのではなく、拾う楽しみを知り、磨く努力をする。かつ吉の素朴で味のある、古い物を活かす店造りは、こういうものの見方や考え方が元になって、それが「かつ吉の色」を創っているんだと思います。
実際、私の店にお越しくださるお客様の中にも、何の説明もなくても「ここはかつ吉の系統のお店ですね」とお分かりになる方が、少なからずいらっしゃいます。
― 「かつ吉の色」。それをもし言葉で説明するとしたら、どんな色でしょうか?
一番大事なのは想いや哲学
瀧澤さん:なかなか言葉にするのが難しいんですが・・・「哲学」でしょうね。働くってことには、その根底に哲学があると思うんです。
私達はお客様に料理をお出しするだけでなく、まず料理をお出しする「風景」、「景色」を創ることを大事にしています。そしてその風景や景色を創るためには「精神」がないと、「哲学」がないとできないと思っているんです。
そういう「哲学」が根底にまずあって、その哲学に突き動かされて店造りをしたり、日々店を運営することが、「かつ吉の色」を作るんだと思います。
きっと私だけではなくて、かつ吉から出て行った人たちはみんな、一緒に働いた人たちの顔と共に、その「かつ吉の色」が視界に常に見えていて、それに影響されながら仕事をしていると思うんですよ。
今でも私の田舎では、公務員だとか、銀行員が「真っ当」だとされるような考え方が未だにあります。ただ、私もかつ吉という店にお世話になることができて、「自分にとって本当に好きなことをやってこれた」という思いがあります。
普通のサラリーマンでも、普通の飲食店でもできなかった経験をさせてもらえたと思います。
― 瀧澤さんの眼からご覧になって、お客様には、かつ吉のどんなところを楽しんで欲しいと思いますか?
瀧澤さん:古いものを大事にして欲しいと思います。古いもの、歴史を経て残ってきたものは、やっぱり本物だと思うんです。
料理以外も「本物」が揃っている店です。それをコツコツと積み重ねて店を造ってきた、その「想いの重さ」みたいなものを理解していただきけると、きっともっとかつ吉を楽しんでいただけるんじゃないかと思います。
例えば料理が盛られている器ですとか、店内に飾られている花や緑などを見ても「教育されてるな」っていうのがすごく良く分かります。そういう何気ないことにも目を向けて、ぜひ楽しんで欲しいなと思います。
― 本日はありがとうございました。
かつ玄
長野県松本市大字島内7717 [かつ玄のWebサイトへ]
TEL:0263-32-2430