かつ吉各店の店内に飾られている書や骨董、歴史、かつての仲間をご紹介していきます。
とんかつ丸五 店主 竹内様
秋葉原の人気とんかつ店、とんかつ丸五。首都圏のとんかつ好きの方なら、まずその名と味を知らない方はいないであろう、銘店(めいてん)の一つです。
そのとんかつ丸五の店主、竹内さんも、かつ吉でかつて共に働き、後に独立をはたされた一人です。
かつ吉時代の日々のこと、その頃を振り返って思い出すこと、今、かつ吉について想うことなど、ご自身が料理長として腕を振るわれた、思い出深いかつ吉水道橋店で、お話をうかがいました。(インタビュー・文 K’s WEB Consulting )
(日本語) 高級とんかつ店「かつ吉」で修業したい
― かつ吉に入店なさったきっかけを教えてください。
独立を夢見て上京! しかし・・・
竹内さん:私はもともと、酒屋で働いてたんです。高校を卒業してすぐに東京へ出てきて、5年その酒屋にいたんですが、その後、かつ吉に入店させてもらうことになりました。酒屋のころから納入業者として、かつ吉にも配達していたのがご縁です。22歳の頃でしたね。
一番の理由は、「手に職をつけたい」ということ。私は「いつか自分の店を持って独立したい」という気持ちで東京へ出て来たんですが、当時、酒屋は免許制で、なかなか税務署の許可が取れなかったんです。
将来酒屋を開くにも、当時の私は全然お金を貯められなかったし(笑)、仮に開店資金を集められたとしても、税務署が審査の時に「その資金はどうやって貯めたのか」だとか、そういったことを過去にさかのぼって全部調べられるんです。
もし誰かから運良くお金を借りられたとしても、そういう誰かからポッと借りてきたようなお金では、税務署の許可は下りない。だから私が将来、自分の酒屋を開くことは、現実的に難しかったんです。
高級とんかつ料理店「かつ吉」で修業したい
竹内さん:そこで、「とにかく手に職をつけなきゃダメだな」と考えたんですが、かつ吉はいつも配達で出入りしてる中でも、とてもいいお店だなと思っていました。
その上、かつ吉は当時から、かなり高級なとんかつ料理店でした。酒屋時代の私の給料が月3,000円だったんですが、その当時のかつ吉では、1人で食事しても400円くらいしてましたから、お客としてはとても入れないような高級店だったんです。
親父さんも当時から・・・、ああ、私が「おやじさん」というのは、かつ吉創業者の吉田吉之助さんのことだけど(笑)、その親父さんが言うには、「サラリーマンなら給料日や、ボーナスをもらって自分でも行ける、お客さんを連れて接待でも行けるお店」。そのくらいの価格設定だったんですね。
それで、自分もこういうお店で修業できれば、「将来、自分の腕をたよりに、自分のお店を持てるんじゃないか?」と思ったんです。
1年間はずーっと皿洗い!
竹内さん:ところがね(笑)、私が入ったときは、お店を廻す主力のメンバーが、バッチリ決まってたんです。なので、かつ吉に入ってから1年間は、ずーっと皿洗い(笑)。「手に職」と言えるような仕事は何にもさせてもらえなかった。これはちょっときつかったですね。
ただその代わり、お新香だけはやらせてもらえました。夏はキュウリなどの色の濃いモノ、冬は白いモノ、カブとか大根とか、白菜とかですね。お新香をやらせてもらえたおかげで、そういう旬のものは、ちゃんと覚えることができました。
最後の方には、自分で買って来た大根を屋上で干して、沢庵まで漬けましたよ。何でもやっていくと、だんだん面白くなるものでね(笑)。
毎日皿洗いばかりの日々も、その後の目が回るような忙しい日々も、かつ吉を途中でやめたいと思ったことは、一度もありませんでしたね。
(日本語) 入店3年目でいきなりお店のトップに!
― その後はだんだん調理を任せてもらえるようになったんですか?
あの時の経験があるから何があっても大丈夫
竹内さん:いやそれが、ある時、それまで中心になって店を廻していた主力メンバーが、1年足らずの間に、一気にいなくなってしまったんです。それで、急に私が一番上の、料理長になっちゃった(笑)。
1年間は皿洗い、2年目からは少しずつ調理を任せてもらえ始めたと思ってたら、3年目で急に一番上でしょう(笑)。これは本当に大変でした。自分の下の人たちも、当時は何もわからない人間ばっかりだったし。
しかもかつ吉は当時から、毎日たくさんのお客様が来られる人気店でしたしね。毎日、お店が終わってから次の日の仕込みをやって、何とか間に合わせてお店を開けて、またお店が終わってから仕込みをやって・・・と、ほとんど休む間も無いような毎日で、その当時が一番大変でしたね。
料理長の自分ですら、知らないこと、分からないことばかりでしたから、人に教えている余裕もなくて、下の人たちには「見て覚えてもらう」しかない。とにかく自分で必死にやらないと、次の日の仕込みが間に合わないから(笑)。
だから精神的には、すごく強くなりましたね。例えば仮に今、自分の店の誰かが急に辞めたりしたとしても、動揺しないで、「じゃあ俺が今夜残ってやればいいや」、なんて普通に思えますしね。
三島由紀夫さんが通い続けて下さった
竹内さん:その当時のかつ吉水道橋店には、三島由紀夫さんも来て下さってたんですが、三島さんは常連さんの中でも、すごく味に厳しいお客様でした。私が水道橋店の料理長になる以前から、「ステーキにナイフを入れて、焼き加減が違うと、そのまま食べずに勘定して帰ってしまう」、なんてこともあったようです。
だから、「料理長が自分に代わったら、三島さんは来て下さらなくなってしまうんじゃないか?」と不安に思ったりもしていましたが、結局、三島さんはそのまま変わらず、かつ吉水道橋店にいらして下さいました。
三島由紀夫さんは、言葉では何もおっしゃらない方でしたが、そうやって三島さんが通い続けて下さったことは、すごく励みになりましたね。
私の前の料理長の頃に、ステーキのソースのことで三島さんと色々あったらしいんですが(笑)、それも当時からかつ吉が、豚肉でも牛肉でも、本当にいい肉だけをお出ししていて、そのことを三島さんがよく分かって下さっていたからこそだと思いますしね。
(詳しくはかつ吉渋谷店で配布している『店主の能書き』をご覧ください)
(日本語) 失敗もありますよ(笑)巨大なずん胴なべいっぱいのドミグラスソースが・・・
竹内さん:とはいえ、失敗もありますよ。次郎さん(かつ吉・菩提樹の現店主、吉田次郎)にも言ってないけどね(笑)。
ドミソースっていのは3日間くらい煮込んで作るんです。今もこのお店にあるだろうけど、こんなデカい寸胴でね(子供の背丈くらいは優にある、両手でもとても抱えきれないくらいのずん胴なべです)。
それである日、「じゃあ頼むぞ」と下の人たちに言って先に帰ったんですけど、次の日の朝来たら、真っ暗なの! 店中が。
それで「どうしたんだっ!?」って厨房に行ってみたら、ドミソースが寸胴ごと、全部灰になっちゃってたの! こんなデカい寸胴がだよ!?(笑)
つまり、ドミソースを煮詰めていた寸胴鍋の火が、一晩中点けっぱなしだったわけ。それで、そのソースの煤(すす)で、天井だとか、あのぼんぼりみたいな照明だとかが、全部真っ黒になっちゃって、それであの広い水道橋店の店中が真っ暗だったんです。これはビックリしたねぇ(笑)。
それで、「これはまいった・・・!」と思ったものの、まさかそれで営業やめる訳にもいかないし(笑)、もう全員で必死になって掃除!
しかしそうやって思い返してみても、あの当時もかつ吉の人間はみんな、すごくまとまりがあったと思います。あの頃は仕事以外にも、朝、みんなで営業前に、早朝ボーリングとか、早朝野球とかをやったりね(笑)。
だから、お店のことでもそうでないことでも、何かあった時に「おう、やるぞ!」というと、すぐにみんなワッと集まって、力を合わせて事に当たる、というような。
少なくとも当時の他の飲食店には、きっとなかなか無かったんじゃないかと思うような、かつ吉の仲間ならではの、まとまりみたいなものがあったと思います。
(日本語) 「旬のものを使え、他流試合をしろ」― 親父さんに教わったこと
本当の味を求めて行きつくのは「旬の素材」
竹内さん:そうしてかつ吉で過ごさせてもらった日々の中で、親父さんにしょっちゅう言われてたのは、まず「旬のものを使え」ということです。
「旬というのは、ものが一番安くて、一番おいしい時だ。だから、街を歩くときも、ただ歩くんじゃない。八百屋の前を通り過ぎる時も、ただ通り過ぎるんじゃない」、と。「必ず八方目を配って、今何が旬なのか、何が使い時なのかを探しながら歩きなさい」と、これは本当に良く言われましたね。
特に今は年中、何でもあるでしょう? だから「旬」という考え方がなくなってきてるけど、それでも本当の味を求めていくと、やっぱり行き着くのは今でも「旬のもの」なんです。
今でも肝に命じてやっています
竹内さん:あと親父さんによく言われたのは、「給料を稼いで、その自分で稼いだ金で、身銭を切って他の店に食べに行け」。要するに、他流試合ですね。それは、親父さんに連れて行ってもらうんじゃなくて、自分の稼いだ金で、身銭を切って、食べに行く。そうじゃないと身に付かない。
それで、これは私もウチの従業員にもよく言うんですが、お客さんは、自分のお金で、他のどこのお店に食事に行ってもいいわけですよ。自分のお金で、自分の足で行くわけですから。
「それでも、わざわざ、自分の店に来てくれるんだから、それはもう絶対に、外れたことをやっちゃいかん。料理も接客も全部ひっくるめて、来て下さったお客様に、常に感謝の気持ちを忘れるな ― 。」
これは今でも、肝に銘じてやっています。親父さんの受け売りじゃなくてね。こっちでいくら「こんなに素晴らしいもを作った」だの、何だのかんだの言ったって(笑)、お客さんが来てくれなかったら何にもならないんですよね。
事あるごとに言い聞かせてもらった
竹内さん:それと、お客さんがたくさん来ていて忙しいと、従業員は新しいことをやるのは嫌なんですよ。余計な仕事が増えるわけですから。
でも、ヒマになってから新しいモノを作っても、宣伝効果がないというか、全然お客さんに浸透しないですよね。だから、「お客さんがどんどん来ている時に新しいものを作れ」って言うんです。
それは従業員はタイヘンですよ。「なんでこんなに忙しいのにやるんだ」とみんな言います。それでも、お客さんがどんどん来てくれている時に、そうやって先に先に手を打っていかないと、お店は続いて行かないんです。
あと、「メシ屋ってのは年中無休だ。誰がいつ来ても食事が出せるようにしろ」。親父さんは、これもよく言ってました。正月の元旦はさすがに休みでしたが、でも二日からやりましたよ。だから、みんな盆正月に田舎に帰れなったですね(笑)。
他にもたくさんありますけど、料理について、親父さんが「ああしろ、こうしろ」とおっしゃることは一度もありませんでした。親父さんにはそういうこと、お店を続けて行く上で、私が今でも大事に守ってやっきた大切なことを、事あるごとに、言い聞かせてもらいました。
(日本語) かつ吉は「御馳走のとんかつ」を出すお店
― 今のかつ吉をご覧になって、お感じになることはありますか?
竹内さん:うーん・・・(しばし沈黙)、なんて言うんでしょうねぇ・・・、やっぱりここが原点で、今の自分がありますからね。今でも目標だから、「なんか新しいことやってるかな?」って、たまに偵察に来てるんですよ(笑)。
かつ吉に来ると、「ああ、やっぱり俺はここから出てるんだ」と感じます。それでまた初心に戻るというか・・・、「田舎に帰ってまた元気をもらって来る」みたいなもので。・・・やっぱり自分が育った場所だからか、なかなか言葉に出すのが難しいものですねぇ(笑)。
御馳走のとんかつを
竹内さん:ただ、これは「今のかつ吉」というより、昔も今も変わらないかつ吉についての話ですが、こういうことは言えると思います。
昔はとんかつが”御馳走”だったんですよ。それが今は、その御馳走だったはずのとんかつが、「お惣菜」に成り下がってしまってきている。
「かつ吉に行けば、広々した店内で、御馳走のとんかつが喰えるぞ」。かつ吉は昔も今も、そういうとんかつを出してくれるお店ですし、これからもそうあり続けてくれるだろうと思います。
(日本語) シンプルに、シンプルに、そのまんま。
― 最後に、「お店をやっていく上で一番大切だ」とお考えのことは何ですか?
竹内さん:やっぱり基本は同じで、何より大事なのは「モノを見る眼」ですよね。
さっきは野菜の旬の話をしましたけど、肉も同じです。極端にいうと、固い肉を安く仕入れて、ああだこうだと手を加えたら、なおマズくなっちゃう(笑)。
本当にいい肉を「コレ!」と見極めて仕入れること。
そして、それにできるだけ手を”加えない”こと。
いいモノを仕入れて、余計なことをしない。シンプルに、シンプルに、そのまんま。
色々手を変えて、うまく、見栄え良く持ってくんじゃなくて、もう、「そのものズバリ!」なんです。色気も要らない、そのものズバリ! 美味いか、マズいか! 美味けりゃまた来てくれる。それだけなんです。
私はずっとそうやって来たし、親父さんはそういう考えだったんですよ。
「美味いかマズいか」ただそれだけ
竹内さん:親父さんは料理について「ああしろこうしろ」という注文は一切なくて、食べて美味いかマズいか、本当にそれだけ(笑)。何も言われないからこっちで勉強して工夫するしかない。言われる方がよっぽど楽ですよね(笑)。
また、一時は「柔らかい=美味い」になってましたけど、そうじゃないんです。肉を鍵盤みたいな器具で「ガチャーン」と加工してハンバーグみたいに柔らかくして、そうして揚げたとんかつが「ハシで切れる」と喜ばれたこともあったようだけど、そういったものが本物のとんかつだとは、私には思えないんです。
サクッと揚がった衣と共に、しっかりと噛み締めたときにジワーッと出てくる肉の旨み・・・、それこそがとんかつだと、私は思うんですよね。
自然に出てくるものが本物
竹内さん:接客についても同じで、最初はマニュアルを作ったりして、「挨拶はこう」、「料理の提供はこう」・・・なんて色々やったんですけど(笑)、でもやっぱりそうじゃないんですよね。
さっきの親父さんの話にあったように、お客さんが自分のお金で、自分の足で、わざわざ自分の店に来てくれることを肝に命じたら、自然に頭も下がるし、笑顔も出ます。
だから本当にシンプルと言うか、普通の、当たり前のこととして、自然にこう、出てくるもの。マニュアルやなんかで作った末に出す笑顔や接客じゃなくてね。
「わざわざ、自分の店に来てくれるんだから、それはもう絶対に、外れたことをやっちゃいかん。料理も接客も全部ひっくるめて、来て下さったお客様に、常に感謝の気持ちを忘れるな ― 。」
やっぱりこの言葉に尽きると思うんですよ。
― 本日はどうもありがとうございました。
とんかつ 丸五
千代田区外神田1-8-14 [地図を表示]
TEL:03-3255-6595