かつ吉各店の店内に飾られている書や骨董、歴史、かつての仲間をご紹介していきます。
千年残るか?新丸ビル店の天井照明とかつ切り包丁[後編・かつ切り包丁]
かつ吉では、とんかつを切るためだけに考案し、試行錯誤の末に創り上げたかつ吉独自の包丁、『かつ切り包丁』を使っています(現在では同種の庖丁を日本橋木屋様で購入できます)。
この「かつ切り包丁」を開発する前までは、揚がったとんかつを30cm位の幅の広い牛刀(フレンチナイフ)で切っていたのですが、かつ吉のとんかつは低温揚げなので衣が特にやわらかく、牛刀だと衣が落ちて(はがれて)しまうことがありました。衣が落ちてしまうと、せっかくサックリ揚がった衣と肉の一体感を楽しんでいただくことができません。
そこで日本橋かつ吉(日本橋三越向かいで営業していた、かつ吉の第一号店)の料理長が、当時、日本橋木屋(※)にお勤めの常連のお客様だった白鷹幸伯(しらたか ゆきのり)さんにご相談し、試行錯誤の末に作り上げていただいたのが、この「かつ切り包丁」です。
※日本橋木屋・・・各種の料理包丁や宮内庁御用達のハサミなどを取扱う、創業400年以上の老舗刃物店。
白鷹幸伯(しらたか ゆきのり)さんは、現在、日本の国宝や重要文化財に使用する和釘の(わくぎ)の錬造を一手に引き受ける、現代の名工として知られる鍛冶職人です。
白鷹幸伯さん 『千年の釘 ― 鍛冶白鷹幸伯の仕事』
(日新製鋼ギャラリー 展示会・2012年7月23日~10月19日開催)
日本橋かつ吉に通ってくださっていた常連のお客様で、かつ吉に入店して一年がたった新しい職人たちのお祝いに、名前入りの庖丁をプレゼントしてくださったり、かつ吉新丸ビル店オリジナルの天井照明(電灯の笠)の制作を手掛けていただくなど、とても親密なお付き合いをさせていただいています。
切ったとんかつの肉汁が飛んで顔に当たるのが良い?
かつ切り包丁の特徴は、手元にかけてなだらかにカーブした刃の形状です。
この刃の曲線に沿って、奥から手前に一気にとんかつを切ると、衣の剥がれずに、まな板と接している部分の衣まで潰さず、サクッとした食感を保ったままカットできます。
素早く刃先を上げられるように先端は軽く、刃は膨らんでいて芋のような形をしています。白鷹さんのアイデアで、かつ吉の古材などを使った店内全体の雰囲気に合うように、刃の上半分の鉄肌はあえて磨かずに黒いまま、道具としても重厚な仕上げになっています。
「鉄の黒い肌がはっきり出るように仕上げるの。そうすると、なんだこれは?言うてお客さんが見てね、みんな驚くわけよ。だってこんな包丁、それまでの料理業界にはないんだもの」(白鷹さん)
切ったとんかつの肉汁が飛んで顔に当たるのが良い?
このかつ切り包丁を使ったとんかつのカットは、かつ吉の職人としてかなり熟練しないとなかなか上手く行かない、独特の技術が必要な職人芸の一つです。
習熟した職人がカットすると、とんかつの肉汁が職人の顔や頭越しに、後ろにハネるくらいになります。白鷹さんとこの包丁を作った当時の料理長は、「それがいいんだ(笑)」と話していたものです。
かつ吉渋谷店や新丸ビル店は、オープンキッチンの店舗です。カウンターのお席であれば、職人たちがこの包丁でとんかつを切る様を、ご覧いただけるかもしれません。
「千年の釘」を手掛ける名工、鍛冶 白鷹幸伯さんが語るかつ吉の店造り
厨房で使う包丁の仕上げまでも、「お店の雰囲気に合うように」と工夫をしてくださった白鷹さん。かつ吉の店造りについても、初代店主、吉田吉之助との思い出も振り返っていただきながら、お話をうかがいました。
白鷹さん:そんなに好感度な人間じゃないからね、よく分からんけどね(笑)。
日本橋のかつ吉には車のわっか(大きな木製の車輪を丸テーブルとして使用していました)があったり、釘が刺さったままの水道木管の古材が使ってあったりね。
あれはねぇ、当時の店主の吉田吉之助さんが、ある日、四谷見附の工事現場を通りがかった時に、「まぁたこんなものが出やがった!」ゆうて、土建業者が怒ってたんだって。ドロドロになった、釘が刺さったままの水道木管が、工事してた地中から出てきてしまった。
そこで吉之助さんが、「兄さん、酒二升でウチまで運んでくれるかい?」と持ちかけたら土木業者は「あぁ、それは捨て場ができてよかった!」と喜んだというんだよ(笑)。
ワシもその水道木管に刺さってた釘を何本かもろうてね、それで”切出し”作ったらいいのができたよ。(古釘切出し 古い神社仏閣などで使われていた和釘)
だから、機会というのはその辺に転がっとるんだね。普段からそういうことに気をつけているかどうか、そのモノが良いか悪いか、どこに使えるかを常に考えとれば、酒二升で、あんな長い、貴重な古材が手に入ることもある。
「書がわかる」ということ
吉之助さんにはそういう直観力があったんだ。それは「書がわかる」からよ。あの「天下第一関」の拓本を引っ提げて、中国から日本に帰ってくるような行動力とね。
吉之助さんがウチの仕事場に来てくれた時もね、当時、仕事場にほっぽらかしとった比田井天来(ひだいてんらい)の手本の書をね、じーっと見てるんだよ(笑)。
比田井天来ちゅうのは、幕末から明治初期にかけて活躍した日下部鳴鶴(くさかべめいかく)の弟子で、その比田井天来の弟子もみんな書道界の重鎮ばっかりだったよ。土佐高知の手島右卿(てしまゆうけい)とか、いろんな人が出とるよ。
だから「書が分かる」ゆうことはね、それに関する歴史が分かるということでね。やっぱり書は、嫌でも少し練習した方がええと思う。何も書家になるほど練習せいとはいわん。ただ、ちょっと書くと、ものが分かるようになるからね。
見て楽しめれば、それでいい
やっぱり、お客さんの中にも「同好の士」いうのが随分おるからね。ワシらは「同好の士」にまでに至らないけど、例えば古材の良さっちゅうのは、分かる。持ちこたえてきた歴史性というかね。
取り返しのつかないのが歴史なんだよね。失ったら取り返せない、再現できない。その希少さがある。その希少さを認識しとるお客さんも随分いるわけだ。興味のない人がほとんどだろうけどね、中にはおるよ。
例えば「天下第一関」、あれはえらい字だよ。あれを見てすごいと思えれば、それでいいんじゃないかと思うよ。「水道橋かつ吉のあの拓本を見て、書を始めたというデザイナーがいたという話を次郎さんに聞いたよ。「あれを見なかったら僕は書をやってない」と話したそうだ。
今は分からなくても、古い物も書も、しょっちゅう見とれば分かるようになる。昔、ある書の大家に、「書けなくてもいいから、良く書を見ろ。見て楽しめればそれでいいんだ」と教わったことがある。
だから、かつ吉にある古いもの、歴史あるものを見て楽しめる人、「同好の士」が、100人に一人でも二人でもいてくれて、少しずつでも増えていってくれると嬉しいね。